学習するということ

ある高名な先生は技術開発の取り組みを「弓(ゆみ)」にたとえられました。常日頃は黙々と実験に取り組みます。進んでいるのかどうだかよく分からないような状態が延々と続きます。そこをじっと各人が耐え忍ぶ。狙いを定めてじっと耐えるのです。ハタから見ていると何にもしていないように見えます。目的と逆方向に進んでいるようにも見える。「もうだめだ」というのを何度も何度も通り越したそのあと。いつまで続くか分からないこの静寂の時間にひたすらじっと耐え続けたあとに、パッと視界が開ける瞬間が来る。きっと来る。的にめがけて矢が解き放たれた瞬間です。一瞬にして矢が的に突き刺さります。静寂の時間に耐え抜いたあとでのみ訪れる瞬間。

学生時代の勉強もこのたとえに似ていると思うのです。常日頃の勉強はどちらかというと地味なものだと思います。急な展開もスリリングなこともない。でもそれを毎日続けていくと知らないうちに本人も驚くような高みにまで登っていたと思う瞬間が来ると思います。どうぞ毎日の学習を大事にしてもらいたいと思います。大人になった今の私自身にも同じことを自分で自分に言い聞かせてます。