学び・創造・学問

学びについてのメッセージをいくつか紹介します。

<学ぶ心>  松下幸之助 (パナソニック株式会社 創業者)

自分ひとりの頭で考え、自分ひとりの知恵で生み出したと思っても、本当はこれ他から教わったものである。教わらずして、学ばずして、人は何一つ考えられるものではない。幼児は親から、生徒は先生から、後輩は先輩から、そうした今までの数多くの学びの上に立ってこその自分の考えなのである。だから、よき考え、よき知恵を生み出す人は、同時にまたよき学びのひとであるといえよう。学ぶ心さえあれば万物すべてこれわが師である。語らぬ木石、流れる雲、無心の幼児、先輩の厳しい叱責、後輩の純情な忠言、つまりはこの広い宇宙、この人間の長い歴史、どんなに小さいことでも、どんなに古いことにでも、宇宙の節理、自然の理法がひそかに脈づいているのである。そしてまた、人間の尊い知恵と体験がにじんでいるのである。これらのすべてに学びたい。どんなことからも、どんな人からも、謙虚素直に学びたい。すべてに学ぶ心があって、はじめて新しい知恵も生まれてくる。学ぶ心が繁栄へのまず第一歩なのである。

 

<創造> 西澤潤一 (半導体工学研究者、光通信の三大要素の考案者、前 東北大学学長)

学んでいるときに、入ってきた知識をいろいろと弄(いじ)って見る繋(つな)いでみたり、並べて見たり、という思索活動が動き出し、それが同じものだったり、一連のものだったりという事に気がつき、知識は次第にネットワーク化される。かくして知能となってくる。これが理解である。応用が効くようになって、教えてもらっていないことまで察知できるようになり、現実との対応もできるから、矛盾に気がついて並び直せば、それが独創になることも少なくない。理解は創造の基盤である。そして競争の満足に替わる、理解創造楽しみが学びの原動力となる。

 

<学問> 福沢諭吉(教育者、慶應義塾創始者)

学問とは広い言葉で、精神を扱うものもあるし、物質を扱うものもある。宗教学、哲学は精神を扱うものである。天文、地理、物理、化学などは物質を扱うものである。いずれもみな知識教養の領域を広くしていって、物事の道理をきちんとつかみ、人としての使命を知ることが目的である。知識教養を広く求めるには、人の話を聞いたり、自分で工夫したり、書物を読むことが必要だ。実生活も学問であって、実際の経済も学問、現実の世の中の流れを察知するのも学問である。学問をマスターしたものは実際の文明の事業実行しなければならない。人間たる者はただ自分自身と家族の生活を確保するだけで満足してはならない。それは虫けらもおこなっている当たり前のことである。人間にはその本性においてそれ以上の高い使命がある。それは社会的な活動に入り、社会の一員として世の中のためにつとめることである。学問をするものはを高くしなければならない。初歩の学問で満足してはならない。簡単でお手軽な道を避けてさらに高いレベルまで勉強してから実際の事にあたれば大いになすことがあるだろう。